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カンボジアの美しい自然 [カンボジア]

カンボジア8.jpg

 

内藤カメラマンHPより 

上の写真は、訪問診療に向かう途中の道・・・ほんとうに美しい道、まるで冬のソナタの一場面のような道。
しかし、この美しい道の傍らには、まるで倉庫のような家に暮らす患者さんがいた。カンボジア・シュムリアップ市内より東へ約50Km。

僕ら日本人にとっては、カンボジアは映画「キリング・フィールド」で描かれた内戦、ポルポト政権下で100万人とも言われるの虐殺。
今も残る地雷の数々・・・といったところだけれど、すごくすごく美しい国であり、やさしい人たちが住む国であった。また早く行きたい。

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アンコール遺跡群の中にあるタプロームという寺院跡。
すごい根っこが寺院に絡みついている。
すさまじい生命力・・・なぜか、しみじみと涙が出てくる・・・、
そして謙虚な心になれました。



カンボジアについて 
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

シハヌーク国王のもとで独立後、ベトナム戦争が起きると、国内は不安定となり、アメリカと南北ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年にはロン・ノルのクーデターによりシハヌーク国王が追放された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで100万人以上とも言われる死者が出た。(虐殺の数については5万~330万と諸説あり)。1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1992年国連の平和維持活動が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。今でもカンボジア国内ではかつての内戦の影響でたくさんの地雷と不発弾が埋まっている。それらの場所に危険標識があるものの、カンボジアの子供達は母国語であるクメール語の文字が読めないために誤って危険地帯に入る状況である。

 


タグ:カンボジア
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